石田勝大さんをお迎えして、新緑のペデを歩きました。
(2014年5月10日(土)14:00-16:00実施 約10名参加。NPOつくば建築研究会からも参加あり。マスコミの取材あり)
最初に、総括として、つくば公園通りの歴史的な背景や設計意図についてご説明をいただきました。
そして、みなさんで新緑の遊歩道へ!!
石田さんからの私的な改修案をみながら、現地を確認・・・
1.江戸時代に葛飾北斎や歌川広重が浮世絵の中で街の背景として富士山を描いたりしたが、つくばでは筑波山の風景がどう見えるかを意識した
2.つくばの都市計画の中で、つくば公園通り(遊歩道)は背骨としての位置づけにあり、隣接する建物は遊歩道に正面性を持たせた。昭和50~51年度に緑道作りに着手、54-5年くらいまでかかった。
3.中心市街地は幅員16mのところ、赤塚洞峰公園間は20mとった。さらに、両脇に研究所のオープンスペースがあり、遊歩道をまちのグリーン軸として計画設計した。これは、研究学園都市構想のメインテーマであった。
4.つくば公園通りのうち、赤塚・洞峰間の遊歩道(約1キロメートル)は当時は赤塚妻木線と呼んでいて、この建設に1億7千万円(当時の大卒初任給約9万円なので、現在の物価に直すと約3億5千万円)もかけられた
5.遊歩道には排水のためのマスが一定間隔で設置されており、ヒューム管に落ちるようになっている(落ち葉で隠れててわかりにくいですが、確かに存在し本管に流れるようになっていました)
6.公園の樹木も同じだが、遊歩道の樹木も、建設完了時には樹木が小さいので多い目に植えてある。
7.石畳の自然石は、茨城県笠間産の稲田石。稲田石は同じ御影石でも六甲山系の御影石とはちょっと違い、白っぽい (六甲のものは茶色っぽい錆が入っている)
8.稲田石は、最高裁判所の外壁材としても採用されている。東京の都電を撤去してでた稲田石は銀座の歩道に使われている。つくば市では壊した300m区間の敷石は産業廃棄物として費用をかけて廃棄したと思われる。単純に壊してしまうことは、実に勿体ない。
9.石畳の段差は、樹木の根の隆起により、部分的に盛り上がったところが数か所見受けられたが全体的にはほとんど痛みがない。
10.目地は、幅30ミリで深目地加工。これは、石の感触を出すためと、施工および補修のしやすさのために配慮していたと思われる。
などなど・・・非常に参考になる話が聞けました。
ちなみに、石田様は現在はURを退職され、多摩ニュータウンにお住まいとのこと。今回、当会からの要望にボランティアとしてお応えいただき、ご来訪いただきました。「市民のみなさんのニーズを把握しながら、よい方向に行ってほしい」とおっしゃっておられました。
石田勝大さん プロフィール)
1974年に住宅都市整備公団(現在のUR)に入社され、1985年つくば万博開催までの、まさに、つくば創生期の街づくりに関われた。ACCS記念番組『石田勝大さんと行くつくばの公園思い出巡り』(2009年)にご出演。